はむ吉(のんびり)の練習ノート

プログラミングとことばに関する話題を中心に,思いついたこと,試してみたこと,学んだことを,覚え書きを兼ねてまとめます.その際に役立った,技術書,参考書,辞書,機器などの紹介も行います.

片道廿余里

日記のような、まわりくどいよくわからない文章を書いてみました。プログラミングとはほとんど関係がありません。

前夜

手際が悪いにもかかわらず、思いついたことにすぐ飛びついてしまうという性質が発揮され、帰りが予想より遅くなった上、翌日の用意にも手間どった。そのせいで、翌朝までの睡眠時間は高々6時間になった。普段ならまだしも、そこそこ重要な用事で遠出する前の日にこの有様かと、少々不安になりつつも就寝した。

寝坊していわゆる絶望の起床ということには幸いにしてならず、むしろいつもよりすっきりと起きられたぐらいだった。それでも、連日貴重な睡眠時間を削り、1時間あまりを浪費していたツケは、目の下の隈として如実に現れていた。そして何より、頭がなまったようで、うまく動かない感覚は、睡眠不足のシグナルだった。

起床から出発まで2時間弱もの時間をとっていたにもかかわらず、慌ただしく部屋を出ることになった。第一の原因は、相変わらずの散漫さ。第二には、睡眠不足による動きののろさ。そして第三の要因は、すっきりとしない胃腸であった。昨夜ろくに考えもせず、大ぶりな羊羹を口にしたのがまずかったのかもしれない。

当日

往路

目的地までの代表的経路としては、(1)一番早いが馬鹿高い経路、(2)そこそこ早いが急な不通が心配な経路、(3)あまり早くないが安い経路の三つがあったが、今回は(3)を採用した。胃腸の治りが遅く、乗り換えのたびに例の標識を探したが、時間に少し余裕を持った旅程表を作成していたためさほど焦りは感じなかった。

目的地までは一本の電車で行けるわけではなかった。クロスシートでは概ね快適に過ごせたが、ロングシートでは、雨傘を数本束ねたような太さと長さの物品を持て余していた。網棚に上げてしまえばよかったのだろうが、忘れそうだったので、仕方なくその間は倒れぬようずっと手で支えていた。

いよいよ目的地まであと少しというところで、出発地で予定されている祭礼にまつわる車内放送がなされ、なんだか妙な気持ちになった。

最後の乗り換え駅にたどり着き、途中で買い込んだおにぎりに、時間もないのになぜか食らいついた。そうこうしているうちに、少々危ない時間になったため、そこから目的地までタクシーで向かうことにした。出費が増えたが、そうも言っていられなかった。

会場

結果だけ言うと、すべきことを無事にこなしたうえ、思いもよらぬ誉れを得た。ただ、その際の私の言動というものは、相変わらず自分ではまともだとは思えなかった。図体だけでかくて、性格や脳みそは成長どころか退化しているように思えた。数字の上では年齢を重ねているが、内実は小学生未満のような気すらした。なんとかまともに振る舞い、無難に切り抜けようとは考えていても、そのアウトプットは、まるで馬鹿か、考えが足りないか、どうかしているような、珍妙なものになった。例のごとく、私が調子はずれなことをする度に、冷笑や嘲笑を受けているような気がしたが、それがすべて私の思い込みであるはずはないだろう。いつになったら人間になれるのだろうか。

帰路

会場から中心部の繁華街に出た。横断歩道を油虫が横切るのを見て愕然とした。やはり普通ではない光景だったようで、携帯電話のカメラを向けていた人がいた。どうやらSNSで拡散するようだった。それにしても、いくら飲食店が立ち並ぶ街路でのこととはいっても、このようなものを目にするとは思わなかった。

土産物を買う前に、コーピングのために大型文具店に足を伸ばそうとしたが、それが問題だった。持ち前の方向音痴が炸裂し、夜の街を1時間近くもさまようことになった。普段少々崩れた二次元直交座標系にどれほど助けられていたかを、思い知ることになった。結局目的は諦め、近くの百均ショップで適当な文具を買って代わりとした。出費は少なく済んだので、それでよかったのかもしれない。そして、どうにかして駅近くの土産物屋にたどり着き、目的に合いそうなものを見繕った。

帰りも(3)のルートによった。夜遅いからか、乗った列車がすべてロングシートで辟易した。留め具が壊れそうになるまで膨らんだ鞄と、買い込んだ土産物でいっぱいの紙袋と、やたらと長細い棒を両手で支えながら、慣れないフォーマルな装いで押し黙って座席の端に座っているのは、半ば何かの苦行のようだった。

どうにかして最寄の駅までたどり着いた。向かい側のホームに、車庫のある駅止まりの列車が入るのを見て、終電が近いことを実感した。

おわりに

普段はやるせない、情けない思いをしても、なかなかそれを文章にまとめられず、その繰り返しで、もやもやとしたものが鬱積するばかりか、自らの論理性すら退化しつつあるようにすら感じていた。ところが、ぼかしすぎてわけがわからなくなっている上、あちらこちらが衒学的で気持ち悪いものにはなったが、どういうわけか、今回はこういう形にできた。日記をつけるとまではいかずとも、こうやって思いを文章にまとめるのは、心の整理にいいかもしれない。