はむ吉(のんびり)の練習ノート

プログラミングとことばに関する話題を中心に,思いついたこと,試してみたこと,学んだことを,覚え書きを兼ねてまとめます.その際に役立った,技術書,参考書,辞書,機器などの紹介も行います.

今日の頭の中のごった煮

たいしたことはしていないはずだが,自分が情けないやらなんやらで,今日は疲れた.頭の中がまとまらないので,そのまま出力しようと思う.


変な夢を見た.詳細は忘れたが,「バネットの法則」なる,競走馬の血統に関する経験則が登場していた.ここでのバネットとは,ある名牝のことで,もとは N から始まる別の名前だったが,同名の女優にちなんで改名され,自身のみならずその子孫も活躍した競走馬である.もちろん,ここまでの内容は夢の中のもので,でたらめである.念のため調べたが,そのような事実はなかった.ただ,バネットは本来車の一種であることがわかっただけだ.こんな夢を見るあたり,相当影響されていることが見て取れる.今のところ,例のソーシャルゲームを楽しんだり,Web などで過去や現在の競走馬の事績を知ったりするだけで,それ以上深入りする気はないが.

重い腰を上げて,前からさんざん必要性を感じていた予備的検討を,ようやくやった.前にも言ったが,一挙手一投足が異様に重い.抱えているものが多すぎるということはないだろう.ぬるま湯とまでは言わないでも,最大限の配慮を受けておいて,この程度で音を上げていては,どこであろうとつとまらない.これ以上,この体たらくでは,「なんや,こいつ」と思われかねないし,すでにそう思われているおそれもある.それにもかかわらず,どうも私はぽさっと立っているというか,木偶の坊のところがあり,自分でも情けなくなる.いつまでも若く,というか幼くはないのだから,いい加減にまともというか,最低限人としての社会技術は身につけて発揮せねばならないはずだが,いつまでたっても進歩がない.

少し気になるのは,ここ数年,少しばかり耳が聞こえにくいことだ.静かな部屋では問題なく受け答えできるが,不意に話しかけられたり,飲食店などの騒がしい環境にいたりするときは,はっきりとした発話でない限り,聞き取れないことがある.これが,木偶の坊の一因なのかもしれない.そういう意味でも,一度診てもらった方がいいのかもしれない.

それにしても,自分やその周りを必ずしも大事にできているとは自信を持って言えないし,そもそも上記のように私は人としてまともであるとは決して断言できないにもかかわらず,降って湧いたようなことばかり夢想している.二,三十年前ならば,別におかしくはない,誰もが一度は考えそうな当たり前の青写真だったのかもしれないが,現在の日本社会においては,もはや言及することが愚かというか,罪のような気がしてならない.いい加減,私は身の程を知るほどである.ただ,こういうくだらない考えも,生きる助けになるのだから,完全に捨て去ることもないだろう.たとえ実現しえないとしても.

相変わらず「育成」はしたりしなかったりしているが,例のソーシャルゲームに,毎日ログインはしている.ただ,ホーム画面のキャラクターは固定していないはずなのに,同じキャラクターに出迎えられていることが多い気がする.単に,私がそのキャラクターを特に気に入っているため,そのときだけ印象に残っているだけのような気がするが.ただの乱数だとわかってはいても,心が動かされることはあるものだ.

眠っているときだけが幸せだとまでは言いたくはないが,完全に否定はできない.もう少し,実社会と折り合いをつけたいものだ.